「小さい音」がコントロールしづらい。思い込みは身体にも影響してしまう。
どうも、アレクサンダーテクニーク教師の山口裕介USKです。
今回は打楽器をされている大学生とのレッスンでのお話。
先日、復活した打楽器奏者のためのアレクサンダーテクニーク研究会というのがあります。ここでも「ボレロ」の冒頭をテーマにしたりと「小さな音」「弱く」など表現については討論が盛り上がる話です。
試して考えてほしい「実験」からスタートしますのでぜひやってみてください。
さっそく実験してみよう!
まず実験①②を試してください。
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①深呼吸するくらいで「ふー」と息を吐いてみてください。
↓
次にさっきよりも小さく「ふー」と吐いてみてください。
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②一本締めのように手を「パン」と叩いてください。
↓
次にさっきよりも小さな音で「パン」と叩いてください。
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さて①と②の実験より、1回目より2回目は小さい音、少ない量に変えてもらいました。
小さい音にするために、息を吐く量を減らしたり、手のスピードを変えれば小さい音は出せますよね。
でもそのほかに2回目の方が力が入った、または力を入れた身体の場所はありますか?
例えば、
・目を1点に集中させた、視野を狭めた。
・首や肩にに力が入った。
・手を叩く時に息が浅くなった。
振り返ってみてどうでしたか?
自分には何が起きていたかを観察するのは、演奏者として大事な取り組みなのでこんな風に考えるのも1つです。
さて!
この生徒さんは目がポイントで小さい音を出す時は「一点集中」でした。
この実験だけでなく、スネアを叩く時は、じーっと叩く場所をしっかり見ていました。
見るのが問題ではないですよ!!
一点集中の目をギュッとするのと同時に身体を全体的に縮めたこと。身構えるというか、身を潜めると言いますか。
人の前を横切る時、遅刻して教室に入る時のあの感じが近いかな。
それを伝えると先生や先輩から、
「もっと小さく!」
「音量さげて!」
「大きくならないで」
こういった指示があるたびに自分を固めて小さくしてしまってる気がするとのこと。
小さな音は繊細なコントロールが要求されるので、身体を固めていると余計にコントロールしづらいものよね。
わかってるし、できるはずやのに。
そんな時はどんな理由、きっかけがあるんでしょうかね??
様々な理由がある中で、今回はこの3つの話になりました。
周りとの比較による影響
「周りはちゃんと演奏できていて、自分だけができていないと感じる時!」
「出演者が上手な人ばかりで、明らかに自分が一番下手だなどと考えてる時!」
こういった時にも、自分を身体を小さくして身を縮めている傾向があるのかもとのこと。
・できるだけ目立たないようにしよう!
・自分の存在を消していこう!
・見られたくない!
そんな気持ちが身を縮める動きになっているのかもしれませんね。
小さい音は思ったより大変じゃない!
小さい音に対しての問題意識が強くなってくると、いつのまにか「苦労するもの」「労力がかかるもの」と思い込んでいたこと。
それで身体をしっかり固めてコントロールしようと頑張っていたのかも!?
動く範囲で考えると、スネアの小さい音は大きな音を出すよりは狭く労力はかからないもんです。
身体の動きとしては少ないもので良い、「思ってるより楽にしてていいのかも??」
そう思って取り組むのも1つの選択肢なので、持っておくのもアリやと思うとお伝えしました。
自己犠牲奏法になっていない?
「なんとか小さく、とにかく小さく」を追求しすぎて、自分の奏法を犠牲にしてないか!?
動画を撮ってたので動きを見てもらうと
「こんな叩き方はやったことがないし、、、やりたくない。」
はっきりとした動き方を分析した上で、奏法を変えているのであれば大丈夫だったんやけど、自覚がないものなので嫌ですよね。
自分の限界を超えた「小さい」を目指したがゆえの自己犠牲奏法になってしまったんちゃうか?
やったことないねんから、動きにくいしコントロールしにくいわけよね。
なんとかしたい気持ちもわかる!!
周りに置いていかれる感じや、自分だけがうまくできていない、そんな追い込みもプラスされてたからなんやろうかね。
この3つの話を終えた後は、頭が整理された様子でした。
そこでもう一度、演奏をしてもらうと完璧とはいかんかったけど、「帰ってもうちょっとやってみたくなりました」と言われたのもあり、今回はここまでにしました。
何やらやれそうなことが見えたようですね。
「等身大の自分で演奏したらいい!」
レッスンを振り返るとそんな言葉がよぎりました。次回どんな様子でレッスンに来られるかが楽しみです。
では今日はこの辺で。
最後までありがとうございます。
ほなまた!!
山口裕介USK